AM2:21

深々と、思うことを

明朝の色彩


眠れず、気分が優れず

明朝を迎えるのはこれで何度目だろうか。



外の薄暗さが心の色彩を体現している。



薬に抗うかのように脳は覚醒し、

指と目は相変わらずスマホに夢中だ。


自分は夜型人間だと思う。

(診断でもかなりの夜型人間だった。)

しかし、他の人間とのサイクルが合わず

1日を無駄にしたかのように虚無に陥る。


こうして今日も昼間の眠気に耐えられず、

具合が悪い、具合が悪いと呻きながら

いつの間にか1日を消費するんだろう。


つまらない人生だ。

この病気にも愛想が尽きた。


ああ、いつになれば人生を楽しく送れるようになるんだろう。


そういいながらまた大量の薬を流し込んで、

今も朝日に追いつかれていく。

命を削り仄暗い朝に沈む


心も身体もそろそろ壊れつつある。

元々壊れてはいるのだが、また奥深い底に着きそうで。


独りきりで過ごす眠れない夜は、

薬をたくさん飲んでも

音楽で紛らわせようとも

過ぎ去ってくれない。


体温と生きる力を奪っていくだけ。

何も与えてくれない。


カーテンから透ける仄暗い青を睨んで

自分を憎んで、社会を恨んで

ただただ、命を消費していくだけ。


こんな状態でも心臓は動き、

生きようとする身体と

希死念慮で埋め尽くされた心の矛盾に

独りでずっと立ち向かい続けるしかない。


今日も、明日も、明後日も。


このままだと私は、

こうして徐々に命から見捨てられていくんだろう。


私の孤独は、たった今も私を蝕み続けている。



薬との二人三脚


最近、悪夢に悩まされ続けているわたゆきです。


現在服用中のフルニトラゼパムがそろそろ耐性がついてきてしまっているのか、この頃中途覚醒早朝覚醒が多くなってきました。


私としては早朝に起きたとしてもやることが見つからなくてやる気も出ないからまだ眠りたいし、時間がある限り身体を休めたいのですが…

なかなか身体が言うことを聞いてくれません。困ったものです。


睡眠薬が凄く効くな、と感じるのはどの薬でもやはり最初の服用でしょうか。意識が強制的にシャットダウンすると言いますか。


しかし毎日服用していると、どうしても耐性がついてしまうみたいで。睡眠薬もしかり、精神薬はどうもそうみたいですね。


今も少し意識が朦朧としているのですが、おそらく鎮痛剤との交互作用ですかね…

※多剤の服用はオススメしません。


薬を飲むことに抵抗があまりにもなくなってきている自分に、実のところ時折恐怖を感じます。


もともと人工的に治療薬として作られてきたもので、確かに精神症状を緩和する故で有効であることは間違いないのですが…


いつか、薬を飲まずとも心から笑える時がくるのでしょうか。未来の私が見えません。



しかし今がなければ明日は来ないので、今を生きるためにも薬と二人三脚でなんとか生きていきます。


私を求めてくれている人がいる限り。

薬の過ちの掛け算


近頃また

過眠期と不眠期を繰り返している。


今は不眠期だが、中途覚醒早朝覚醒の頻度があまりに多い。


今現在服用している睡眠薬フルニトラゼパム(サイレースロヒプノールと同作用)で、だいぶ強めの薬のはずなのだが…


効きやすいときと効きにくいときの差が激しい。特に不眠期の時はなかなか効かない。


大体は遅くとも30分程度で効いてくるはずだったのだが、今日は1時間半経っても効いてこなかったため、仕方なく頓服のアルプラゾラム(ソラナックス)を服用。


相互作用のせいか、確かに効き目は早まる上更に効果が強力になってしまう。


眠れることに越したことはないのだが、正直用法は間違っているし、同時服用に関して主治医に叱られたことがある。


この調子だと明日(というか今日)は昏睡するだろうし、寝覚めも悪いだろうな。


そうなることは分かってはいるんだけれど、薬を飲まず睡眠障害を耐えて長くて冷たい夜を過ごすより、どうしても薬に頼ってしまう。


何度も何度も反芻する。

いつまでこんな哀しい夜を過ごさなければいけないのだろう。


今の夜は暗くて、寒くて、哀しいよ。

希死念慮の塵山

 

『消えたい


いなくなりたい


死にたい』


一体何度これらの言葉を心で反芻してきたことだろうか。



頭も特別に良くなくて、

沢山描いてきた夢も挫折して、妥協して。


努力できる才能もなくて、

これといった特技もなくて。


所詮私は見上げる側の人間なんだ。

大器晩成だなんて、遥か遠い。


普通にすらならない

真っ黒で煤けた性格も、

まともに幸せを受け取れない薬漬けの頭も、

何度だって呆れて見捨てたくて仕方がないのに


未来が明日の積み重ねと言うのなら、

一体どれだけの希死念慮が重責するのだろう。想像するだけでも慄いてしまう。


これ以上醜い塊は見たくないんだ。

好きでこんな風になったわけじゃない。



どうか、どうか少しだけでもいい。


私を楽にさせてくれ。

自分を捧ぐ


私が大切に思う人々が

もし苦しんでいるとしたら、

もし辛い思いをしているとしたら、


私が代わりたいと思う。


自分が代われることで

大切な人たちが元気で幸せでいられるなら、

自分が犠牲になってもいいと思う。


これは愚かな考えなのかもしれない

偽善とも捉えられるかもしれない。

でもこの思いが自分の中であまりにも強すぎて、存在を否定できない。

客観視すらもできない。


きっと「正義」「神愛」なんて大層なものなんかじゃない。でも、間違いなく「これ」は此処にある。



自分という存在はたった1人だけで、

自分の人生は、自分のものでしかないのに。



でもだからこそ、

自分の思い通りに出来てしまうのか。

自分の思うがままに費やせてしまうのか。


私は「これ」がある限り、きっと大切な人たちの為なら何だってするだろう。



もし、私の大切な人たちの中で「私の死」を望んだとしても。


死生観の「正義」と「エゴ」


この世に産み出されたのは、

決して自分の意思ではない。


気づいた時には既にこの世にいて、

生きることを強いられてきた。


だれもが口うるさく言う

「死んじゃダメ、生きなさい。」

言葉のテンプレート、ありきたりな「正義」


そんなにも生きることが正義だというのなら、死ぬことは悪だとでもいうのだろうか?

死ぬということは同じなのに、死因にはやたと偏見が多い。誰もが病気や事故で死ぬことが「正義」か?仕方ないと捉えるのか?


産むのは親のエゴ、

生かしてやりたいのも誰かのエゴ。

エゴが混ざり合う生と死の問題。

この問題にエゴを取り除くのは不可能なのではないだろうか。


なにが「正義」だというんだろう。

なにが最も倫理的なんだろう。


答えに正解などないのだけど、 

この話題に触れた時には

迷宮に迷い込んだみたいな気分になる。


スッキリはしない。

きっと考える限り永遠に続くんだろう。