AM2:21

深々と、思うことを

太陽が陰る

彼は、恩人は私の太陽だ。

いつも明るく前向きで、鋼のメンタルを持ち合わせている。

そう思っていた。

彼は突然「精神的に倒れてしまった」。

本当に突然のことだった。

ここまで苦しんでいる彼をみたのは
付き合って初めてのことだった。

「明日が来なければいいのに」
「君がいなければ死んでいた」

俯いて光を失った瞳を迷わせながら
ポツリポツリと話す彼に対して
私は静かに抱きしめることしかできなかった。

どうしたら彼の太陽は蘇ってくれるだろう。
また彼の笑った顔が見たい。


どうかこれ以上背追い込まないで。

私はなんでもするからと

どうか、1日でも早く彼の調子が戻りますように。
そう願をかけながら。

夢か現か、実るのは現

「パプリカ」を観た。



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開始当初からいきなり

なんとも奇妙な有象無象たちのパレードが始まる。


我々が使う言葉では奏でることのできないハーモニーが此処にはある。


私はこの作品に触れて、新たな疑問が生まれた。


夢と現が混じり合った時、

我々の世界はどうなるのだろう。


夢に現が塗りつぶされるか、

現が夢を壊すか

互いに磁石の如く反発し合うのか


あるいは

夢と現が奇妙に混ざり合い、

共に消滅(上手い言葉が思いつかない)するか

(「無」は「現象」なので誕生の意となる)


はたまた

夢と現が奇妙に混ざり合い、新たな「何か」が誕生するのか(パプリカでは「パレード」)


我々のみている世界なるものは「何物」なのか。夢か、現か、はたまた別の「何か」か。


世界とは、我々が単に名付けただけで、誰も存在証明を行うことはできない。

はたまた、同様の世界に存在しているとも証明できない。

我々の生誕をも、我々は証明できないのだ。


対話し得ない我々の脳のみが知っているとしたら、実に奇妙で面白いとは思わないだろうか。

お久しぶりです。わたゆきです。


私事ではございますが、この度入籍する運びとなりました。


正直実感が湧きません。

入籍したからといって特に今までの生活が一変する訳でもなく。

(私が仕事を辞めなければですが…)


このご時世ですから、

結婚式も挙げられませんし

ましてやそんな予算もありません。

急遽決まったことなので。


しかし皆様から祝福のお言葉を頂き、

大変嬉しく思っております。

本当にありがとうございます。


私は相手を幸せにしてあげることすらできませんが、各自で日々小さな幸せを見つけていけたらと思います。


また、自身の病気のことについてですが、

正直なところあまり良くはありません。

拭きれない予期不安や希死念慮

なんとか薬でかき消している感じです。

うまくかき消せないこともあり、しんどさをひしひしと感じております。


新生活、新たな環境に置かれていることもありますし、このご時世のことです。

日々不穏な情報に溢れています。


自分の状況を素直に受け入れられないことはもしかするとこれらの影響があるのかもしれません。


なかなか複雑な心境ではございますが、

それでも生きていくしかありません。

どうか目の前の幸せを見失いませんよう。

病気とも向き合って無理なく生きていけますよう。


ただ祈るばかりです。

烏がいない街

新居に越してきて最近ふと思うことがある。


この辺りには烏が見当たらないような気がする。


烏の独特な鳴き声も聞こえない。


思えば、私の周りにはいつも烏がいた。


ガァガァと低い声で鳴くその見慣れた姿をいつも気を止めることなく過ごしていた。


烏を気に止めるようになったのは、祖父が亡くなってからだった。


祖父の亡くなったあの日の烏は

まるで死の知らせを届ける使いのように

ガァガァといつもより多く鳴いていた。


その日からふと見かける烏に親しみを持つようになってきていた。


烏はこちらを向いてガァ、と鳴くと

何処かに飛んでいくのだ。


何ら大したことじゃない。

ただ祖父の面影を烏に移しているだけ。


分かってはいるものの、あの日からつい烏を探してしまうのだ。


あの時の烏はどこに行ったんだろうか。


自由に飛び立っているだろうか。


できることなら

祖父の代わりに、遠くへ遠くへ

美しい景色を見せてあげて欲しい。

見送りの虚しさ

再び人の死を目の当たりにした。


Twitterをしていれば、というか

そういう"界隈"にいれば

少なからずこういった経験はあるだろう。


誰かの寿命を見届けるたび

その人が遠くに行ってしまうたび

なんともいえない感情が込み上げてくる。


「生きてほしい」「生きていればなんとかなる」「生きることは素晴らしい」なんて軽々しく言えないし、誰しも誰かの人生の責任なんて負えない。


ただ、誰であろうと居なくなるのが辛い。

命を通して2度と会えないのが、

本当の別れというものだから。

日陰なりの望み

暖かな家族にも日陰はあると私は思う。


それでも他処の日差しに目が行くのは仕方のないことだとも思う。


私はその日差しに照らされて新たな温もりを知った。


幸運なことに今もその恩恵を受けている。


私は暖かな家族に出会えてよかったと心からそう感じる。


しかしふと気がつけば、自分には持ち合わせていない温もりがやけに暑く感じてしまう。


日陰側で生きてきた私にはあまりにも暑すぎる、と


そんな捻くれた考えを持ち合わせてしまった人間なのだ、私というものは。


愚かだと思う。不束者だと思う。


それでも生きていれば、


日陰は日陰なりに日差しを望むものだと


いつかは心から温もりを感じられますように。


そして日向に出る勇気を持てますように。

発作のこと

私が自称している「発作」について

どのような症状なのか

備忘録のように綴っていこうと思う。


まず、いわゆる「発作」は突然訪れる。


おそらく要因は「キャパシティーオーバー」。

積もりに積もったタスクに耐えられなくなった時、前触れもなく急に起こる。


簡単に言えば、脳みそが暴走する

頭の中央部分だから、予想するに感情を司る扁桃体あたりだと思う。


発作が起きたときは、とにかく「破壊欲」「暴走欲」が凄まじい。


1人で押さえ込もうとするも、衝動的すぎて頭を抱えながら唸り声を上げてしまう。


何かを壊したい

何かを傷付けたい

音も光もこの世の全てが敵


ここまでくると頓服を飲むのもキツい。

立ち上がることすらできず、ひたすら床を這いずり回るだけ。

かろうじて服薬したとしても、落ち着くまで時間がかかる。


脳が膨張する。なんらかの炎症を起こしている気がする。

明らかにおかしい。

なのになぜみんなわかってくれない?


唸り声は極力抑えようとするも、発作の辛さに耐えられずに醜い声が出てしまう。


自己嫌悪と衝動的な破壊欲で

いつ誰にそして何に当たってしまうのか

怖くて仕方がない

今のところそういった加害は起きていないが、悪化すると…と考えると怖い。


本当は叫びまくって、喚き散らして

「どうして生まれてきたんだ!今すぐこの世から消してくれ!」と言いたい。


普通には程遠い、発作は本当に苦しい。


誰か、誰でもいい。認めて欲しい

この辛さを、この発作を。