自分を捧ぐ
私が大切に思う人々が
もし苦しんでいるとしたら、
もし辛い思いをしているとしたら、
私が代わりたいと思う。
自分が代われることで
大切な人たちが元気で幸せでいられるなら、
自分が犠牲になってもいいと思う。
これは愚かな考えなのかもしれない。
偽善とも捉えられるかもしれない。
でもこの思いが自分の中であまりにも強すぎて、存在を否定できない。
客観視すらもできない。
きっと「正義」「神愛」なんて大層なものなんかじゃない。でも、間違いなく「これ」は此処にある。
自分という存在はたった1人だけで、
自分の人生は、自分のものでしかないのに。
でもだからこそ、
自分の思い通りに出来てしまうのか。
自分の思うがままに費やせてしまうのか。
私は「これ」がある限り、きっと大切な人たちの為なら何だってするだろう。
もし、私の大切な人たちの中で「私の死」を望んだとしても。