AM2:21

深々と、思うことを

亡くなった祖父へ

一回忌も滞りなく行われ、供養と自身の付き合いのために、私の祖父について語りたいと思う。


1年前、私の祖父が亡くなった。

私は母子家庭で、両親の離縁後父方との親戚とも一切付き合いがなかったため

彼は私にとって「祖父」という唯一の存在だった。


ある日、玄関で足を滑らせて大腿骨を骨折した。

そこが祖父の「死へのカウントダウン」の始まりだった。


90を超えた老体であったためか、手術は困難を催し回復したとしても歩行器なしでは歩けなくなる、と医師から宣告された。


骨折する今までは本当に元気だった。自分でよく歩くし、身の回りの最低限のこともしっかりこなしていた。

また、祖母と仲良く?喧嘩する気力もあり、暫くは何も問題ないだろうと思っていた。


そんな中の出来事だった。

私は医師からの宣告に衝撃を受け、

痛みから顔を歪めている祖父の顔を見て

なんとも言えない感情が湧き上がった。


たった一度の転倒で、余生がガラリと変わってしまうとは。

その時の祖父の心境はどうだっただろうか。

あまり表情が読めない人だったから、最期まで分からずじまいだった。


そして退院後、祖父の睡眠時間が異常な程伸びた。1日のほとんどを睡眠に費やすようになっていた。


医師は宣告時、こうもいっていた。

「大腿骨骨折による歩行困難は、老人を寝たきりにさせがち」だと。


まさに、医師の言った通りだった。


その時は気づいてあげられなかった。祖父の「認知症」が進行していたことを。


睡眠時間が偏り始めてから、祖父の言動が明らかにおかしくなっていた。


何をするのかを思い出せずキッチン立ち止まったままであったり、自身の脱水症状に気づかずトイレで倒れていたり。


明らかに「認知症」の症状そのものだった。


私はその時実家にはおらず、母から話を聞いてその事情を知った。

そのため、医者にかかるよう促した。


母によると病院でMRIを取ったところ、脳がスカスカになっていたそうだ。

模範的な認知症の脳の写真だった。


私はあんなに元気だった祖父が、こんなにも早く悪化するとは思わず、状況をうまく飲み込めていなかった。


次第に認知症の症状は悪化し、家では面倒を見られなくなる程に進行した。

疲弊した母からの電話で事情を聞き、私は家全体が暗くなってしまったと感じた。

家の状態や認知症のケアは素人では無理だと私は判断し、私はケアマネージャーを雇うこと、そして老人ホームに入居させることを提案した。


それから祖父は特別老人ホームや病院を転々とするようになり、最期まで大好きだった家に帰ることはなかった。


結局、祖父の死因は「肺炎」だった。

ただ認知症を患ったまま亡くなったため、

肺炎という病に侵されている苦しみが理解できているのかはわからなかった。


私が最後に祖父に会ったのは、祖父の死が訪れる数時間前のことだった。


まさに息絶え絶えで、見るからに呼吸が苦しそうだった。

そんな祖父の姿を見て、「今夜が山場」だと察した。

すると私は祖父のことを直視できなくなり、

看護師さんや他の方もいたのにも関わらず、

涙を流すのを堪えきれなかった。


祖父は何故だか、自身が苦しいにもかかわらずそんな私のことをジッと見つめていた。


その時の苦しむ祖父の慈しむような、祖父の死を悟った母の目を未だ忘れることはできない。


数時間後、付き添っていた母から祖父の容体が急変したとの連絡があった。心拍数が徐々に低下していると。

私は早くその場にかけつけたかったが、実家に訪れていた親戚が準備に手間取ったせいで祖父が息をひきとる時、傍に居てあげられなかった。


それが未だ心残りで、ずっとずっと後悔している。

同時に、足手まといの親戚が憎くて仕方なかった。私の唯一の祖父を、奴らが奪ったかのように、今も憎み続けている。

しかし後悔したところで、憎み続けたところで亡くなった人は戻ってはこない。

そんなことは重々承知でいる。


ただし人間とは、時に理屈じゃ片付けられないこともある。まさに「死」がそうだった。


私は祖父が亡くなった病室で何もできずただただ涙を流し続けていた。

人は、こんなにも涙を止めることができないときがあるのだとその時初めて知った。


安らかな顔で冷たくなった祖父に触れるのが正直怖かった。「もう人じゃない。」そう思ってしまったことすら哀しくて、悔しかった。


葬儀場や火葬場で祖父を見送る時、どこかで祖父の死を信じきれていない自分がいた。

あまりにも現実離れな出来事で。

その時は涙が一切出てこなかった。


火葬して燃え尽きてしまった「それ」は

本当に祖父だったのだろうか。

なにかの間違いで、ただ何かを燃やしただけの灰なのではないかと。


しかし、私は珍しく笑顔を浮かべた祖父の遺影を持ち上げた時、再度実感した。

「私の祖父は、私のじいちゃんは本当に死んでしまったのだ」と。

もう二度と笑いかけてくれることも、話すこともできないのだと。


そう感じると、途端に涙が溢れて止まらなくなった。20を超えた人間が、遺影を抱きしめながら嗚咽を漏らすほど泣くことしかできなかった。


火葬場には私よりも年下の子も居たのに、私はひたすら泣き続けていて実にみっともなかったと思う。

ただ、理性じゃどうにもできなかった。


今もあの時も変わらず、祖父のことを思うと未だ涙が出てくる時がある。


死は、きっと乗り越えられるものじゃない。

忘れることもできない。


死は酷く生きる人の心に住み着くのだと。


そうして人は、亡くなる時に誰かの心に記憶と言う名の置き土産をしていくらしい。


私は今も、祖父の置き土産をただただ抱きしめ続けている。